2005年07月29日
特別の週末です。
あっと言う間にフライデーです。
今週は月曜日から連日フル・スケジュールでした。
一転、今日の予定は午後の来客、お一人だけ。
吉田君と一緒にお会いすることになってます。吉田君はしっかり喋ってくれる頼もしい相棒ですから、多分私は横に座ってるだけで事は済むでしょう。
しかもあまり気の張らない方ですから、気楽にノー・ネクタイ、流行のクール・ビズでお会いするつもりです。何んせフライデーですもの。
自室のエアコンも28度にセットしました。
今月の8日に大の仲良し、って言うより親友と思い心から尊敬もしている“栄和機工”の西原社長が伊丹へ「元気してる?」してくれました。
同年の彼は一足先に還暦ゴールしています。
「以来(還暦以来)なんかちゃうねん。何がかは説明でけへんけど、なんかちゃうねん」
私の大好きなお菓子を「食べてなぁ」と残して帰られましたが、「お菓子届けにだけ来てくれはったんやろか?」と考える程、面談中は他愛も無い話に終始しました。
強いて言えば思い当たる唯一が上の「なんかちゃう…」の言葉です。
若さ自慢、体力自慢の西原社長、自分だけが先に60才にゴールインしちゃって、私に嫉妬してるのか?
早く私に“仲間入り”せよと催促しに来られたのか?
それなら言外に「君もすぐ還暦ゴールやからこの気持わかるわ。覚悟しときや」が含まれてのことでしょう。
その“私”のゴールインがいよいよ今週末の日曜日です。
それを境に西原さんのように「なんかちゃう」のか「なんも変わらん」のか、今から胸ワクワクさせてるごまめです。
今週は月曜日から連日フル・スケジュールでした。
一転、今日の予定は午後の来客、お一人だけ。
吉田君と一緒にお会いすることになってます。吉田君はしっかり喋ってくれる頼もしい相棒ですから、多分私は横に座ってるだけで事は済むでしょう。
しかもあまり気の張らない方ですから、気楽にノー・ネクタイ、流行のクール・ビズでお会いするつもりです。何んせフライデーですもの。
自室のエアコンも28度にセットしました。
今月の8日に大の仲良し、って言うより親友と思い心から尊敬もしている“栄和機工”の西原社長が伊丹へ「元気してる?」してくれました。
同年の彼は一足先に還暦ゴールしています。
「以来(還暦以来)なんかちゃうねん。何がかは説明でけへんけど、なんかちゃうねん」
私の大好きなお菓子を「食べてなぁ」と残して帰られましたが、「お菓子届けにだけ来てくれはったんやろか?」と考える程、面談中は他愛も無い話に終始しました。
強いて言えば思い当たる唯一が上の「なんかちゃう…」の言葉です。
若さ自慢、体力自慢の西原社長、自分だけが先に60才にゴールインしちゃって、私に嫉妬してるのか?
早く私に“仲間入り”せよと催促しに来られたのか?
それなら言外に「君もすぐ還暦ゴールやからこの気持わかるわ。覚悟しときや」が含まれてのことでしょう。
その“私”のゴールインがいよいよ今週末の日曜日です。
それを境に西原さんのように「なんかちゃう」のか「なんも変わらん」のか、今から胸ワクワクさせてるごまめです。
2005年07月28日
朝日放送で収録してきました。
朝日放送のラジオ局主任の太田嬢は以前、ABCラジオの「全力投球!!妹尾和夫です」で東海バネを取り上げてくれたご当人。
あの時も盛んに「ABCの近くにエエ会社あるねえ」と放送で流してくれてたそうです。私は残念ながら聞き漏らしでした。
太田さんは東海バネを余程気に入ってくれたのか、今回は「飛び出せ!夕刊探検隊」と言うニュース番組に「出てこない?」と声を掛けてくれました。
勿論「行きます」で先程行って収録してきました。
窓口の真鍋君と二人で出かける予定が渡辺マネージャーがおじゃま虫してきて三人で行くことになりました。
案内されたラジオ第一スタジオはラジオでは一番デカイとドアの壁面に表示されていました。
その大きなスタジオで落語家の桂 吉弥さんとアナウンサーの中村智子さんがにこやかに迎えてくれました。
気分をほぐしてやろうとの配慮か、他愛の無い雑談のような会話から少しずつ確信に迫るような質問に移って行きます。そんな最中に太田嬢もスタジオに登場し、ニコニコして我々のやり取りを聞いておられました。
さていよいよ本番です。
スタジオに残ったのは吉弥さん智子さんと私の三人。
みんな例の金魚鉢って言うのかなあ、ガラス張りの調整室に避難?してしまいます。
「キューッ」と何処やらから掛け声がすると、一瞬で二人の表情と語りがプロモードに変わります。さすがと感心するより「アマチュアは私だけ」と実に心細い思いに陥りました。終わってみれば「長かったですなぁ」と避難組の二人が言うように15分に及ぶ収録でした。実際の東海バネの出演部分は11分程だそうです。
「記念に」とデジカメにスナップを収めました。真鍋君がホームページで披露すると思います。中村智子さんの美女振りをチェックして下さい。「顔の怪我が」と彼女嘆いていましたが・・・。
ところで、放送後「えらいこと」になるかも知れないと、後の反省会(夏目氏との反省会と違ってアイス・コーヒーです)で二人の背後霊が心配していました。なるとしたらどんな「えらいこと」か、みんな聞いて心構えをお願いね。
あの時も盛んに「ABCの近くにエエ会社あるねえ」と放送で流してくれてたそうです。私は残念ながら聞き漏らしでした。
太田さんは東海バネを余程気に入ってくれたのか、今回は「飛び出せ!夕刊探検隊」と言うニュース番組に「出てこない?」と声を掛けてくれました。
勿論「行きます」で先程行って収録してきました。
窓口の真鍋君と二人で出かける予定が渡辺マネージャーがおじゃま虫してきて三人で行くことになりました。
案内されたラジオ第一スタジオはラジオでは一番デカイとドアの壁面に表示されていました。その大きなスタジオで落語家の桂 吉弥さんとアナウンサーの中村智子さんがにこやかに迎えてくれました。
気分をほぐしてやろうとの配慮か、他愛の無い雑談のような会話から少しずつ確信に迫るような質問に移って行きます。そんな最中に太田嬢もスタジオに登場し、ニコニコして我々のやり取りを聞いておられました。
さていよいよ本番です。
スタジオに残ったのは吉弥さん智子さんと私の三人。
みんな例の金魚鉢って言うのかなあ、ガラス張りの調整室に避難?してしまいます。「キューッ」と何処やらから掛け声がすると、一瞬で二人の表情と語りがプロモードに変わります。さすがと感心するより「アマチュアは私だけ」と実に心細い思いに陥りました。終わってみれば「長かったですなぁ」と避難組の二人が言うように15分に及ぶ収録でした。実際の東海バネの出演部分は11分程だそうです。
「記念に」とデジカメにスナップを収めました。真鍋君がホームページで披露すると思います。中村智子さんの美女振りをチェックして下さい。「顔の怪我が」と彼女嘆いていましたが・・・。ところで、放送後「えらいこと」になるかも知れないと、後の反省会(夏目氏との反省会と違ってアイス・コーヒーです)で二人の背後霊が心配していました。なるとしたらどんな「えらいこと」か、みんな聞いて心構えをお願いね。
2005年07月27日
今日は朝駆けしてきました。
今日は朝一番に“小西マーク”さんへ行ってきました。
30年来ご親交頂いてる荒木会長や今年就任された奥村社長、そしてIT担当の小林部長のお三方相手に汗かいて熱弁してきました。朝からようやりますでしょ。
“小西マーク“さんって言やぁ、知る人ぞ知るマーク屋さん。初めてお伺いした時、目ぇ丸ぅしました。工場のいたるところに野球のユニフォームなら、やれタイガース、ジャイアンツ、それも選手の個人名入りの本物がゴロゴロです。
小西マークさんは大手スポーツ用品メーカー、例えば「ミズノ」や「デサント」などのプロ向け各種ユニフォームのマークやネーム入れを一手に引き受けておられる有名な会社。今日もお会いするなり「高校野球の地方予選が進んでいるので、いよいよ忙しくなりますわ」と仰ってました。
甲子園へは小西さんでマーキングしたユニフォームで出場する学校が大半だとか。
「出場決まってから大会までの間にやっつけなあきまへんから徹夜になりまんねん」と辛そうに、嬉しそうに話しておられました。
そんな人の羨む仕事の一方で、町のスポーツ用品店で設えられた草野球チームのマーキング、地方のママさんバレーのユニフォームのマーキング、或いはチームに新入りのたった一人の補充ユニフォームのマーキングまで、実に親切で便利で面倒見の良い小西マークさんです。
かねてより荒木会長から「小西マークも事業形態を未来形に変えて行かねばならぬ」とお聞きしていましたし今回、IT担当の小林部長から、「東海バネの経験談を社員に聞かせたいから」と東海バネのウェブ担当マネージャーにIT活用事例発表の依頼がきたので「今や!」と朝駆けしたのです。
巧みな舵取りで変遷を乗り切ってこられ、今や磐石の経営基盤を築かれました。傍からは何の問題も無いようにみえますが、今朝荒木会長はじめ皆さんに申し上げたのです。「もし東海バネが自力だけでIT化を進めていたら、3年は遅れていたでしょう。そして今の結果を手にするのは5年後になっていたでしょう」と
「私もある方から“西岡IT塾”へお願いしてみたら?と言われた時、アホな!と一蹴したけど、結果は良かった。だから小西マークさんにもしっかりサポートしてくれる人のアドバイスを受けられるべきです」とも。
「よく解った、前向きに検討してみます」との答えを新社長から頂きました。荒木会長からは「熱弁ありがとう」とお礼をいわれました。
こんなに素晴らしい会社が、こんなに素晴らしい技術、商品を持っておられる会社が、本気でITを進められたら、きっと、もっと素晴らしい会社になられること間違い無しです。
しかし私はそれよりも小西マークのすべての人が、自分達が触れ、世に送り出す商品を、初めて見学した時の私の様に、まるで宝物を見るような目で見つめる、そんな会社になって欲しい。その思いからでた熱弁でした。
30年来ご親交頂いてる荒木会長や今年就任された奥村社長、そしてIT担当の小林部長のお三方相手に汗かいて熱弁してきました。朝からようやりますでしょ。
“小西マーク“さんって言やぁ、知る人ぞ知るマーク屋さん。初めてお伺いした時、目ぇ丸ぅしました。工場のいたるところに野球のユニフォームなら、やれタイガース、ジャイアンツ、それも選手の個人名入りの本物がゴロゴロです。
小西マークさんは大手スポーツ用品メーカー、例えば「ミズノ」や「デサント」などのプロ向け各種ユニフォームのマークやネーム入れを一手に引き受けておられる有名な会社。今日もお会いするなり「高校野球の地方予選が進んでいるので、いよいよ忙しくなりますわ」と仰ってました。
甲子園へは小西さんでマーキングしたユニフォームで出場する学校が大半だとか。
「出場決まってから大会までの間にやっつけなあきまへんから徹夜になりまんねん」と辛そうに、嬉しそうに話しておられました。
そんな人の羨む仕事の一方で、町のスポーツ用品店で設えられた草野球チームのマーキング、地方のママさんバレーのユニフォームのマーキング、或いはチームに新入りのたった一人の補充ユニフォームのマーキングまで、実に親切で便利で面倒見の良い小西マークさんです。
かねてより荒木会長から「小西マークも事業形態を未来形に変えて行かねばならぬ」とお聞きしていましたし今回、IT担当の小林部長から、「東海バネの経験談を社員に聞かせたいから」と東海バネのウェブ担当マネージャーにIT活用事例発表の依頼がきたので「今や!」と朝駆けしたのです。
巧みな舵取りで変遷を乗り切ってこられ、今や磐石の経営基盤を築かれました。傍からは何の問題も無いようにみえますが、今朝荒木会長はじめ皆さんに申し上げたのです。「もし東海バネが自力だけでIT化を進めていたら、3年は遅れていたでしょう。そして今の結果を手にするのは5年後になっていたでしょう」と
「私もある方から“西岡IT塾”へお願いしてみたら?と言われた時、アホな!と一蹴したけど、結果は良かった。だから小西マークさんにもしっかりサポートしてくれる人のアドバイスを受けられるべきです」とも。
「よく解った、前向きに検討してみます」との答えを新社長から頂きました。荒木会長からは「熱弁ありがとう」とお礼をいわれました。
こんなに素晴らしい会社が、こんなに素晴らしい技術、商品を持っておられる会社が、本気でITを進められたら、きっと、もっと素晴らしい会社になられること間違い無しです。
しかし私はそれよりも小西マークのすべての人が、自分達が触れ、世に送り出す商品を、初めて見学した時の私の様に、まるで宝物を見るような目で見つめる、そんな会社になって欲しい。その思いからでた熱弁でした。
2005年07月26日
実に気さくにお立ち寄りでした。
東海バネの伊丹工場は色んなお客様に訪ねていただきます。
今月も暑い中、21日に奈良からJCご一行が30名、賑やかでした。
今日は中小企業金融公庫の館新支店長が前任の野口さんにならって工場見学されます。コメントが楽しみです。
28日にはご同業のS社さんが“新人”にばね作りを見せたい?と遠方からお出でになります。Sさん今、何をお作りなんでしょうか。
そして昨日はあの東京大学大学院経済学研究科の伊藤元重教授が実に気さくにふらっとお訪ねくださいました。まるで友人の会社を訪ねるように。
1951年のお生まれとはおん年54才、エコノミストとしては真っ盛りのお年頃です。(白シャツの方が伊藤教授です。)
小渕内閣の「経済戦略会議」森内閣の「IT戦略会議」の委員をお勤めで大活躍されましたがその後は「ワールド・ビジネス・サテライト」など人気番組のコメンテーターとして相変わらずの売れっ子でいらっしゃいます。
伊藤先生が巷で人気が高いのは、所謂「アーム・チェアー・エコノミスト」ではなく
ビジネスの現場を歩かれ“生きた経済”を理論的観点を踏まえて解き明かす、言わば「ウオーキング・エコノミスト」の立場を貫いていらっしゃるからだとか、ともかく高評価です。
その「ウオーキング」の足を“東海バネ”まで伸ばして下さいました。光栄です。
雲の上!と思っていた方が東海バネとそのバネ作りに強い興味を示され、熱心に工場見学して下さいました。
終盤のランチ・ディスカッションで「世界経済から見た中国」や「東海バネから見た中国はコンペチター、それともユーザーなりや?」など喉が詰まるような話、解説があって、大いに勉強になりました。
伊藤さんのような方との昼食は今後「そうめん」や「うどん」のように喉の通りの良いものにする必要を痛感しました。
今月も暑い中、21日に奈良からJCご一行が30名、賑やかでした。
今日は中小企業金融公庫の館新支店長が前任の野口さんにならって工場見学されます。コメントが楽しみです。
28日にはご同業のS社さんが“新人”にばね作りを見せたい?と遠方からお出でになります。Sさん今、何をお作りなんでしょうか。
そして昨日はあの東京大学大学院経済学研究科の伊藤元重教授が実に気さくにふらっとお訪ねくださいました。まるで友人の会社を訪ねるように。
1951年のお生まれとはおん年54才、エコノミストとしては真っ盛りのお年頃です。(白シャツの方が伊藤教授です。)
小渕内閣の「経済戦略会議」森内閣の「IT戦略会議」の委員をお勤めで大活躍されましたがその後は「ワールド・ビジネス・サテライト」など人気番組のコメンテーターとして相変わらずの売れっ子でいらっしゃいます。伊藤先生が巷で人気が高いのは、所謂「アーム・チェアー・エコノミスト」ではなく
ビジネスの現場を歩かれ“生きた経済”を理論的観点を踏まえて解き明かす、言わば「ウオーキング・エコノミスト」の立場を貫いていらっしゃるからだとか、ともかく高評価です。
その「ウオーキング」の足を“東海バネ”まで伸ばして下さいました。光栄です。
雲の上!と思っていた方が東海バネとそのバネ作りに強い興味を示され、熱心に工場見学して下さいました。
終盤のランチ・ディスカッションで「世界経済から見た中国」や「東海バネから見た中国はコンペチター、それともユーザーなりや?」など喉が詰まるような話、解説があって、大いに勉強になりました。
伊藤さんのような方との昼食は今後「そうめん」や「うどん」のように喉の通りの良いものにする必要を痛感しました。
2005年07月20日
2週間サボってしまいました。
7月9日からセキュリティシステム導入工事が始まり、PC使用禁止とその後の調整などで結構手間取り、結果、歯軋りを2週間お休みしてしまいました。
おまけに13日〜16日まで日本を留守にするという条件も重なったのではありますが。
改めて時の流れの速さを思い知っているところです。
今日はIT委員会に出席し、サラバネシステムのチェックを確認しながら考えさせられました。
「この人ら(IT委員会のメンバー達)すごい事をやろうとしている」と。
しかもやることが当然と言った感じで力んだところなど全く見られません。
30年前のオフコンを入れたときの事がふと頭に蘇りました。
あの時の会社の気負い、悲壮感と言っても良いくらいのプロジェクトメンバーの決意。
レベルで言えば当時よりも進んだシステムである筈なのに、いとも簡単な事を進める様な今の和やかな雰囲気。
「それだけ進化して来たんやなあ」と妙にしんみりしてしまいました。
今更ながら30年の蓄積の大きさを実感しました。
ゼロからのスタートだったとしたらサラバネシステムだけで“大事業”でしょうに。
明日は奈良の大和郡山の青年会議所の皆さんを伊丹にお迎えします。
何か皆さんの参考になることを持って帰っていただければよいのですが。
おまけに13日〜16日まで日本を留守にするという条件も重なったのではありますが。
改めて時の流れの速さを思い知っているところです。
今日はIT委員会に出席し、サラバネシステムのチェックを確認しながら考えさせられました。
「この人ら(IT委員会のメンバー達)すごい事をやろうとしている」と。
しかもやることが当然と言った感じで力んだところなど全く見られません。
30年前のオフコンを入れたときの事がふと頭に蘇りました。
あの時の会社の気負い、悲壮感と言っても良いくらいのプロジェクトメンバーの決意。
レベルで言えば当時よりも進んだシステムである筈なのに、いとも簡単な事を進める様な今の和やかな雰囲気。
「それだけ進化して来たんやなあ」と妙にしんみりしてしまいました。
今更ながら30年の蓄積の大きさを実感しました。
ゼロからのスタートだったとしたらサラバネシステムだけで“大事業”でしょうに。
明日は奈良の大和郡山の青年会議所の皆さんを伊丹にお迎えします。
何か皆さんの参考になることを持って帰っていただければよいのですが。
2005年07月06日
ただ今「休煙中」
「ちょっとお休みするわ」と周りに宣言して時々“休煙”します。
“禁煙”と言い切らないとこがミソです。
休煙の最長記録は2年3ヶ月、最短記録は12日で、回数は間違いなく二桁を超えています。
休煙突入の動機はその時々で違いますが、海外出張の時が最も多く、その場合は出発2週間前から休煙をスタートします。
今回も7月13日から出かけますので6月29日から休煙しました。
人様のケースは判りませんが、私自身は今まで、結構イージーに休煙できました。
「吸わない!」と決めさえすれば、問題なく休煙に入っていけます。2日、3日するとタバコのことが頭から消えるパターンで苦痛を感じることはありません。
“自分で決める”ことがタバコを止めるポイントでこれに尽きると私は思います。
ですから自分で決めていない時に“この場所(状況)でタバコを吸うべからず!”と言われても、とてもタバコを忘れられるものではありません。
とに角、私にとって「吸わない!」のと「吸えない」のとはまったく違うのであります。
海外では、ややもするとその道中からして“嫌煙思想”に支配され勝ちですがそれがわがままな私には我慢ならないこと。
かと言って決め事を無視して世間を敵に回すわけにも行かず、それならと“嫌煙派”に鞍替えするのであります。
実に簡単な切り替えを頻繁に繰り返してきましたが、それが“復煙”の大きな引き金になってしまうのです。
苦しんで、しんどい目して「やっと禁煙できた!」となれば、「あんな苦労して止めたのだから!」とおいそれとは復活しないでしょうが、「いつでも止められる」のだからと復煙に迷いや悩みや「喫ってしまった」の後悔も伴いません。
ではありますが、今度と言う今度は、「休」から「禁」へ思い切ろうかと迷ってる ごまめです。
“禁煙”と言い切らないとこがミソです。
休煙の最長記録は2年3ヶ月、最短記録は12日で、回数は間違いなく二桁を超えています。
休煙突入の動機はその時々で違いますが、海外出張の時が最も多く、その場合は出発2週間前から休煙をスタートします。
今回も7月13日から出かけますので6月29日から休煙しました。
人様のケースは判りませんが、私自身は今まで、結構イージーに休煙できました。
「吸わない!」と決めさえすれば、問題なく休煙に入っていけます。2日、3日するとタバコのことが頭から消えるパターンで苦痛を感じることはありません。
“自分で決める”ことがタバコを止めるポイントでこれに尽きると私は思います。
ですから自分で決めていない時に“この場所(状況)でタバコを吸うべからず!”と言われても、とてもタバコを忘れられるものではありません。
とに角、私にとって「吸わない!」のと「吸えない」のとはまったく違うのであります。
海外では、ややもするとその道中からして“嫌煙思想”に支配され勝ちですがそれがわがままな私には我慢ならないこと。
かと言って決め事を無視して世間を敵に回すわけにも行かず、それならと“嫌煙派”に鞍替えするのであります。
実に簡単な切り替えを頻繁に繰り返してきましたが、それが“復煙”の大きな引き金になってしまうのです。
苦しんで、しんどい目して「やっと禁煙できた!」となれば、「あんな苦労して止めたのだから!」とおいそれとは復活しないでしょうが、「いつでも止められる」のだからと復煙に迷いや悩みや「喫ってしまった」の後悔も伴いません。
ではありますが、今度と言う今度は、「休」から「禁」へ思い切ろうかと迷ってる ごまめです。
2005年07月05日
安全パトロールしました。
7月1日に「安全パトロール」を行いました。
この時期の「全国安全週間」に沿って東海バネ伊丹工場も毎年行っています。
今年も和田さん、栗林さんのガイドでしっかりパトロールしました。
と言ったって、“東海バネ伊丹工場”は「労働災害ゼロ3150日」で銀賞を頂き、「安全衛生優良事業所賞」も受賞しているんですから目を皿にしたって“ボロ”や“埃”は出ません。ほんと、見事なもんです。
見学に来られたゲストの多くが5Sに関して「完璧」とか「信じられない」とコメントして下さるのが理解できます。
更衣室がリフォームされて一段と快適性が向上しました。
昭和48年10月1日、私の記念すべき東海バネ入社日です。
その時案内された更衣室。
「ここで作業服に着替えて…」と一人にされた暗い部屋、と言うよりその“空間”で思いました。
「こんなとこにもうチョッとお金かけはったらエエのに」って。
駆け出しのぺーぺー、理屈は解りませんが、何故か思ったんです。
日曜日にパラパラと眺めた本に、「スタバ」のCOO好本さんの話が載ってました。好本さんは社員のことをパートナーと呼んでおられます。
「お客様がスターバックスとそこで働くパートナーが好きであり続け、なによりもパートナーの側としても“職場”としてのスターバックスが好きであり続けること、これでぐるぐる回っていこうと思っています」 超顧客主義 東洋経済新報社より
そりゃぁそうだわなぁ。「会社が好き」「工場が好き」「バネが好き」「仲間が好き」だからこそ本物の仕事が出来るってこと。
30年以上前の暗い更衣室、あの空間では作業着に着替える事は出来ても、心の着替え、スタンバイは難しかったでしょう。
更に好本さんによるわたしの心に“ダイレクト”な言葉、紹介しましょう。
「お店で働く生身の人間がブランドで…」
素晴らしい! 東海バネが目指すのも同じです。
みんなぁ!君ら一人一人がブランドやでぇ。東海ブランドやでぇ
この時期の「全国安全週間」に沿って東海バネ伊丹工場も毎年行っています。
今年も和田さん、栗林さんのガイドでしっかりパトロールしました。
と言ったって、“東海バネ伊丹工場”は「労働災害ゼロ3150日」で銀賞を頂き、「安全衛生優良事業所賞」も受賞しているんですから目を皿にしたって“ボロ”や“埃”は出ません。ほんと、見事なもんです。
見学に来られたゲストの多くが5Sに関して「完璧」とか「信じられない」とコメントして下さるのが理解できます。
更衣室がリフォームされて一段と快適性が向上しました。
昭和48年10月1日、私の記念すべき東海バネ入社日です。
その時案内された更衣室。
「ここで作業服に着替えて…」と一人にされた暗い部屋、と言うよりその“空間”で思いました。
「こんなとこにもうチョッとお金かけはったらエエのに」って。
駆け出しのぺーぺー、理屈は解りませんが、何故か思ったんです。
日曜日にパラパラと眺めた本に、「スタバ」のCOO好本さんの話が載ってました。好本さんは社員のことをパートナーと呼んでおられます。
「お客様がスターバックスとそこで働くパートナーが好きであり続け、なによりもパートナーの側としても“職場”としてのスターバックスが好きであり続けること、これでぐるぐる回っていこうと思っています」 超顧客主義 東洋経済新報社より
そりゃぁそうだわなぁ。「会社が好き」「工場が好き」「バネが好き」「仲間が好き」だからこそ本物の仕事が出来るってこと。
30年以上前の暗い更衣室、あの空間では作業着に着替える事は出来ても、心の着替え、スタンバイは難しかったでしょう。
更に好本さんによるわたしの心に“ダイレクト”な言葉、紹介しましょう。
「お店で働く生身の人間がブランドで…」
素晴らしい! 東海バネが目指すのも同じです。
みんなぁ!君ら一人一人がブランドやでぇ。東海ブランドやでぇ
2005年07月04日
念願叶いました。
2004年1月21日の(社)日本ばね工業会西部支部新春講演会に続いての懇親会の席上での事です。
ご来賓の、中小企業金融公庫大阪支店長の野口さんにご挨拶し、ついでに「東海バネが2003年関西IT百撰最優秀賞を頂きました」と報告しましたら、大きな手で私の手を握って「大阪支店の誉れです」と大変なお歓び様でした。
数日後、野口さん直々に1月30日の工場見学希望が寄せられ、勿論お受けしました。
当日は伊丹工場をご覧いただき“東海バネ経営”もタップリ聞いていただきました。
うれしく、勇気が湧くような激励コメントも頂いたんですが、最後の言葉で目が覚める思いがしました。「もっと儲かる筈ですよねえ」と。
つまり、これだけの特殊な技術と特異なビジネスモデルを持ちながら、“儲かる仕組み”になって無いって事でしょうか。
厳しいご指摘と受け止めました。
「中小企業の町“大阪”の中小企業経営のお手本です。中小企業金融公庫が社債発行をお願いするような業績を」と置き土産も残されました。
早速財務の岩佐さんに「公庫さんに社債お願いしょう」と指示しました。
東海バネが資金調達が比較的容易とされている今、敢えて社債発行にこだわるのは
それが東海バネに対する期待度の証明と考えるから。
「期待に応えなければ」が経営のパワー、情熱の源泉です。
永年お取引の都銀さん2行は既に5件の社債を発行して頂いてますが、中小公庫で是非お願いしたい!その思いが日増しに強くなり、岩佐マネージャーの顔を見る度「まだか?」と催促しておりました。
やっと念願叶いました。
2005年6月30日中小企業金融公庫大阪支店によつて東海バネの社債が発行されました。
置き土産を残された野口さんから支店長は舘さんに代わられましたが、新支店長も「是非見せてください」と工場見学を希望されてます。
一生懸命でお迎えしましょう。
ご来賓の、中小企業金融公庫大阪支店長の野口さんにご挨拶し、ついでに「東海バネが2003年関西IT百撰最優秀賞を頂きました」と報告しましたら、大きな手で私の手を握って「大阪支店の誉れです」と大変なお歓び様でした。
数日後、野口さん直々に1月30日の工場見学希望が寄せられ、勿論お受けしました。
当日は伊丹工場をご覧いただき“東海バネ経営”もタップリ聞いていただきました。
うれしく、勇気が湧くような激励コメントも頂いたんですが、最後の言葉で目が覚める思いがしました。「もっと儲かる筈ですよねえ」と。
つまり、これだけの特殊な技術と特異なビジネスモデルを持ちながら、“儲かる仕組み”になって無いって事でしょうか。
厳しいご指摘と受け止めました。
「中小企業の町“大阪”の中小企業経営のお手本です。中小企業金融公庫が社債発行をお願いするような業績を」と置き土産も残されました。
早速財務の岩佐さんに「公庫さんに社債お願いしょう」と指示しました。
東海バネが資金調達が比較的容易とされている今、敢えて社債発行にこだわるのは
それが東海バネに対する期待度の証明と考えるから。
「期待に応えなければ」が経営のパワー、情熱の源泉です。
永年お取引の都銀さん2行は既に5件の社債を発行して頂いてますが、中小公庫で是非お願いしたい!その思いが日増しに強くなり、岩佐マネージャーの顔を見る度「まだか?」と催促しておりました。
やっと念願叶いました。
2005年6月30日中小企業金融公庫大阪支店によつて東海バネの社債が発行されました。
置き土産を残された野口さんから支店長は舘さんに代わられましたが、新支店長も「是非見せてください」と工場見学を希望されてます。
一生懸命でお迎えしましょう。
2005年07月01日
いよいよ後半戦に突入です。
今朝は大阪本社のマンスリー・ミーティングに顔を出しました。
「東海バネの6月は史上2番目の受注金額で…」に始って、東海商事のツール・リメイクの史上最高受注額まで、うれしい報告がバンバン飛んでました。
棚ボタで無く、偶然でもなく、こつこつと重ねてきた努力の花がほころんで、やがて大輪に開花する、そんな予感のする半期の成績でした。「よっしゃぁ、行く出ぇ!」と言いたくなる本社の雰囲気、元気貰いました。
さらにうれしいのは、“リ・オ・ダ”ご利用の受注が6月に急増したこと。
総受注金額の12%に及びました。
「利用していただけたら“良さ”が絶対解ってもらえる!」の自信作でしたが上手くお伝え出来なかったりして、エリア組にも汗かいてもらいました。
けど、良かった!お客様の「リオダ便利やん」の声が聞こえるようです。
すべてのお客様に胸張って「お客様が1番のお客様です」と言えるバネづくりに頑張ってきました。その目玉が「リ・オ・ダシステム」
前半締めくくりの6月にデッカイ手応えを得て下期への勇気が湧いてきます。
頑張ったと言ゃあ、納期遵守率、半期通算99.87%でした。
数々の課題を克服してこの結果を生んだ磐石の伊丹組にも大拍手を送ります。
下期も決して平坦では無いでしょう。
けれど後半戦にどのような課題が出てきても、「必ず克服出来る!」と感じた今日7月1日でした。
「東海バネの6月は史上2番目の受注金額で…」に始って、東海商事のツール・リメイクの史上最高受注額まで、うれしい報告がバンバン飛んでました。
棚ボタで無く、偶然でもなく、こつこつと重ねてきた努力の花がほころんで、やがて大輪に開花する、そんな予感のする半期の成績でした。「よっしゃぁ、行く出ぇ!」と言いたくなる本社の雰囲気、元気貰いました。
さらにうれしいのは、“リ・オ・ダ”ご利用の受注が6月に急増したこと。
総受注金額の12%に及びました。
「利用していただけたら“良さ”が絶対解ってもらえる!」の自信作でしたが上手くお伝え出来なかったりして、エリア組にも汗かいてもらいました。
けど、良かった!お客様の「リオダ便利やん」の声が聞こえるようです。
すべてのお客様に胸張って「お客様が1番のお客様です」と言えるバネづくりに頑張ってきました。その目玉が「リ・オ・ダシステム」
前半締めくくりの6月にデッカイ手応えを得て下期への勇気が湧いてきます。
頑張ったと言ゃあ、納期遵守率、半期通算99.87%でした。
数々の課題を克服してこの結果を生んだ磐石の伊丹組にも大拍手を送ります。
下期も決して平坦では無いでしょう。
けれど後半戦にどのような課題が出てきても、「必ず克服出来る!」と感じた今日7月1日でした。