2009年10月13日

もうエエわ、このまま時差ボケでも、って思ってる。

先ず途切れ途切れで済みません。
アメリカから帰ってきてね、ズーっと「不規則睡眠症候群?」
元々ねぇ、私、昼寝のしにくいタイプです。
だいぶん前になるけど夏目氏と東京出張の前夜、一睡もしない“完徹”で出かけた。
けど行き帰りにウトっともせず、おまけに出張帰りに夜の京都でしっかり呑りました。

アメリカから帰ってね、いまだに睡眠に関しては時差があります。
昼寝出来ないんやから、夜はすんなり寝たいけど、あかんねぇ。
昨日も「なんでこんな時間に覚めんねん」の時間に目がパッチリ。
テレビやラジオや照明も駄目、ひたすらじっと耐えるのみ、って言うけどいつまでたっても睡魔はやって来ないので、テレビ点けたよ。

目ぇ釘づけになったよ、昨日は。
出来るだけ見るよう心掛けてる「NHKプロフェッショナル 仕事の流儀」
昨夜(正確には今日やけど)は10月6日に見逃した 酪農家 三友盛行さんの「立ち止まり、足るを知る」の再放送でした。
酪農の大変さって以前から聞いてた。
第一、生き物相手で無休で早朝から夜更けまでの重労働。
餌代は上がって、乳価が下がる苦しい経営って。

自分のことを酪農家と言わず“農民”って言ってた、三友さん。
東京生まれでプラプラして流れ着いた北海道。
とある牧場でのアルバイト体験が酪農家として生きるきっかけ。
若さに任せて理想の酪農へ一直線でした。
わき目も振らず、昼寝?もしないで辿り着いたゴールでふと気付いたんやねぇ。

『牛や動物と自然の中で生きて行こうとはじめたのに、私が創り上げたこの農場はなんや。
“自然”とはほど遠い人工農場で、しかもそこで営む酪農は牛達のための酪農ではなく「経済合理性」しか考えて無い“営利”のため、命を考えたものになってない』と。
そこから再スタートした「立ち止まり、足るを知る経営」

自然に逆らわず規模の拡大を目指さないスタイル。
自然の草を与えることに拘るから飼育頭数は酪農平均の半分以下、生乳の生産量は三割しかない。
それでいて小規模なのに逆に利益が上がってるとか。
これぞ「ポーター賞」じゃない?

規模の拡大こそが成功の証とされてきたのは、何も酪農現場だけじゃぁ無い。
三友さんは“際限無い欲望”に支配されるんじゃぁ無くて、時々は「立ち止まって、足るを知る」ことの大切さを説いてはった。

わたしね、この言葉で完全目ぇ醒めたよ。
「牛達の“幸せ”をもっと大きいものにする酪農を目指す」
三友さんとこの牛、幸福やねぇ。

で、夜中に目ぇさめるのも悪くない、「不規則睡眠症候群」を受け入れよ、そう思ってる。



  
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2009年09月24日

アメリカやでぇ。

今日もある方から「更新忘れてるでぇ」と。
そう、長ぁ〜いブランクでした。
理由?有りませ〜ん!
気持ちが“ごまめ”に向かなかったって事にしといて。

けど、今日更新せんかったら、またまた10日ほど先になりそう。
「そらアカン」と思い直して、チョコチョコと更新しますよ。

明後日から1週間ほどアメリカ行くの。
いっその事、“なにやらエンザ”でアメリカでの会議が中止になってくれんかなぁと、マジでしたが予定通り行われるらしい。
「バチ当たるでぇ」言われそうやけど「しゃぁない、行ってくるわ」と言うとくわ。

アメリカ報告は期待外れにならんよう頑張る!からね。
  
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2009年08月04日

避けて通れませんわ。

今日は私事です。
先月末、7月31日で64才になっちゃったよ。
仕事しとっても、遊んどっても、時間はドンドン過ぎて行ってます。
賢い人も、私みたいな人間でも、これだけは平等やね。
誰もが避けて通れませんわ。」

誕生日の夕食は子供や孫が全員揃ってくれて「ハッピーバースデ〜爺ぃちゃぁ〜ん」と歌ってくれました。
それ歌って貰うために3時間ほど、炭おこして、色んなもん焼いて汗かかされたけど。
いつもパーティー言うたらかぁちゃんと二人で「飯炊きババ・ジジ」をよろこんでやってます。

今日は机の上に山になってた新聞計12部を走り読み。
新社長就任の紹介記事で何人もニューフェースが登場なさってたけど、殆ど私より“若い!”
私が38才と5ヶ月で就いたときは見る人、お会いする人皆さんかなりお年上。
どっち向いてもお辞儀してたあの頃と今はエライ違いです。
早よ責任果してしまわななぁと思った今日でした。

「64才になっちゃった」って言ったけど、年とることをネガティブ一方で考えてないよ。
血気盛んな若造の頃、力いっぱいで挑んでも出来なかった事、今、スイスイできます。
これって、「若かった頃出来たのに、年とってでけへん、なさけないなぁ」の“引き算人生”としたら「あれもこれも出来るようになった」の足し算人生。
同じ生きるなら“足し算人生”で行こかい。

パーティーが終わって孫たちが帰った後、かぁちゃんと“おかたづけ”でもう一汗かきました。
胴長のペットの寝息が聞こえる程静かになったリビングで二人で美味しいお茶しました。
「旨いねぇ」に「そぉお」だけ。
心安らかな満64才の夜でした。
“足し算人生”やねぇ。



  
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2009年07月21日

昨日は“ヘタバッテ”たよ。

政治ネタは極力避けてきたけどね。
今月10日に東京でお会いした松井証券の松井社長が引用されてた言葉。
「現下の危機は“政府”が問題解決の主体ではなく、“政府”そのものが解決すべき問題の対象であることだ」
言えてると思う。
次の日本の首相には是非そう述べてもらい、且つ日本を日本国民をリードしてもらいたいと思うんだけど、果たしてねぇ。
国民に「夢と希望と勇気」を与えることが政治の使命と思うけど、「無理やわなぁ」と失望させるようでは嘆かわしい。

その点、15日に「敦賀信用金庫ご一同様」のお一人として伊丹へいらっしゃった「株式会社 福井洋傘」の社長 橋本 肇さん、私にも「夢と希望と勇気」を下さったよ。
「一本15000円から2.000.000円まで完全受注生産です。2百万円は滅多にオーダー無いけど、百万円は年間5本〜6本売れるよ」だって。
貧乏な私が「どんなお金持ちが買いはりますねん」と尋ねると「普通の“若者”でも買いますよ」と。
お土産に貰った傘と重量が「変わらないよ」とすると、グラム当たりは“金”より高い!
世の中、様々やねぇ。私、1億の宝くじ当たっても百万円の傘はよう買わんわ。

様々と言えば、18日の「国際女性ビジネス会議」1200名のキャリアウーマンが東京のホテルへお集まり、壮観やでぇ。
eウーマンの佐々木かをりさん、才女が熱い熱いハートで主催されてます。
何しろ朝の10時から夜の8時までの10時間の長丁場でした。
私の出番は「新しい時代の責任ある経営とは」の分科会パネラーでした。
西岡郁夫さんの差し金でメジャーな経営者に混じっての発言で、ちょっと辛かったけど、必要なことは喋れました。
佐々木さんの「では最後に一言づつ」に誘われて次のように〆ときました。
「愚直に“誠実!”世間や株主は誤魔化せても、社員は誤魔化せません」
受けてたでぇ。
  
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2009年06月29日

2日連続「サプライズ」です。

豊岡市の中貝市長は謙虚な方。
何方からでも教えを乞われます。
「是非西岡郁夫さんとの面談をセットして!」と言われて中に立ちました。
6月26日の午後7時〜同8時の「豊岡市副市長公募説明会」は永田町の「全国町村会館」で“予定”されてました。
「じゃぁ、説明会が終わった後に」と市長同様お忙しい西岡さんとの時間調整して、会談セットしてました。
どうせなら「副市長選考委員」の私、市長からの「求む!副市長」のメッセージをダイレクトに聞いとこと出掛けました、会場となる会館へ。
私ね、6時過ぎに着きましたが、立派な会館の一階ロビーからエスカレーターも階段も人の列、列、列。
「何があるんかいな」と思いながら3階の第一会議室に辿り着いて驚いた。
定員80名の会議室は定員の150%で既にパンパン。
入り切れない人が並んでおられ、それが一階ロビーにまで溢れてるって事。
「この人達、みんな副市長応募者なんか」と、しばらく呆然としてたら、携帯がブルブルで市長からです。
「今、どこに?」「ここに居ります」で携帯耳にした同士が「やぁ やぁ」と挨拶。
「これだけ集まるとは“想定外”一度では無理だから二度に。だから西岡さんには約束時間の変更を、ね」と。
その処置はしたんだけど、ドンドン列は長くなる一方。
豊岡市職員の方も5名ほど来られてるけど、余りにも人が多すぎて整理がつきません。
とうとう私まで助っ人紛いのお手伝いしました。
コンパスの石原編集長にも「中貝さん紹介するから」と声を掛けており、開始時間前にやって来られた石原編集長も、丸い目をもっと丸くされて「何、これ?」と驚く一方。

結局ね、説明会は三度に亘りました。
三度目は漸く“立ち見”は出ず、座ってゆっくり市長のメッセージを聞く事ができました」
けど、問題は“時間”
当初は8時半の会談開始。
「時間変更ね」が二度あり「では」と会館出たのは10時前。
二度目の時には西岡さん「もう着いてるよ」と会談場所へはご到着。
結局1時間30分西岡さんをお待たせしちゃいました。

アクシデントは有ったけど、お二人の会談は実に濃い、充実した内容でした。
今朝、西岡さんに「ごめんなさい、ありがとうございました」メール送ったら「中貝さんステキな方だねぇ」と返信頂きました。よかった!
良かったといえば、アクシデントに巻き込んだ石原編集長も「私もファンになっちゃった」と。目出度し 目出度しでした。

明けて27日は午後1時からの「岡本太一氏お別れ会」で岐阜へ出かけました。
昨夜の会談は11時過ぎ。ホテルのチェック・インが12時前。
バタン・キューで目覚めは8時です。
大急ぎで見繕いして〔名古屋〕経由〔岐阜〕です。
岡本太一さん、経営だけでなく“人間”として尊敬してた方。
これ、私だけや無かったみたい。
〔岐阜駅〕からお別れ会会場は通常タクシーで15分と記されていた。
「ちょっと早いかな」と思いつつタクシーに乗り込んだのは12時10分
ちょっと走ってタクシー、前に進みません。
会場ホテルまで車の列でした。結果タクシー降りたの1時ジャスト。
地下の大きなホールは入り口まで人が溢れてます。
ご子息と金田社長のご挨拶は“声だけ”でした。
で、献花出来て会場出たのが2時30分。
私はそれでもまだ早い方。まだまだ献花の人が列を作っておられました。
岡本太一さんのお人柄やねぇ。

「副市長公募説明会」は聞いて帰った人が500人だったらしい。聞けずに帰った人、カウント出来てません。
「岡本太一氏お別れ会」どやろ、1000人ではきかんやろねぇ。

二日間に亘り、500人の内の一人と1000人の内の一人してきました。

もうちょっと位の事ではサプライズ無いよ。  
Posted by banetkun at 10:48Comments(0)TrackBack(0)熱き社員たちへ